sxy3のブログ

思ってることを吐き出す場。ペッ

受験と自己肯定感

 

自己肯定感という言葉は何でもありのブラックボックス化しているような気がしてあまり好きではない。しかし受験という言葉の持つざらつく感じによく似合うので、ここでは使おうと思う。自己肯定感という言葉についてここで想定しているのは、自分のことをそのままで良いとゆるす状態のことだ。

 

最近よくこの両者の関係について考える。たぶん人生で三度目の 受験生 をやっているからだと思う。

簡単に言うと、受験という装置は自己肯定感をある一定の形に変えてしまうのだと思っている。

試験には正答がある。それにどれだけ添うことができたかが評価の全てだ。

もちろんある程度の思考力を試されているのは事実だし、考えるのは自分だ。

でも結局は、本質的には、ある求められる像があって、それにどれだけ近づけたか、ということを測るのが試験であり、そこに時間や環境の制約がかかってくるのが受験というものだ。

 

自己肯定感の低い子供だったと思う。子供の頃から子供らしくなかった。

原因ははっきりしていて、自己肯定感が低い親に依代として育てられたからだ。

あの人は子供の前で早く死にたい長生きしたくないと口走れるほど自分のことに精一杯で、あまりにも自分の問題を解決しないまま子供を持ったと思う。

娘を頭がいい子に育てたがった。

自分が若い頃、特に目を引く学歴やスキルがない若い女性として苦労したからだとは思う。

でもそういう素朴な願いを超えて、どこか育成ゲームや競馬のように、子供の私が成績を伸ばすのを喜んだ。

 

初めて受験というものを認識したのは9歳で、とても幼かった。

塾は緊張したしどこか殺伐とした空気があった。

ちょっとやんちゃなムードメーカーの男の子を講師がよく廊下で見せしめのように怒鳴りつけていた。

席順はテストの成績順で変動して、クラス内には明確な序列があった。

本当におかしな話だ。大人だってそんな露骨に暴力的で野蛮な場面にはそうそう出くわさない。

 

私は初めての受験に「成功」したし、その後の受験もそのままの勢いで「うまくやった」。

世の中受験に「失敗」しようものならその経験について本人も周りも掘り下げるものかもしれない、でも一度「成功」となったらもうそれでおしまいになる。よかったね、万々歳。

でもここ4年くらい考えていたのだけど、あの体験はそう単純なものではなかったと思う。子供の頃から曝された強烈な体験で、しかも受験はそれ単体の出来事として存在するのでなく、色々と背景の事象があるから、簡単に成功体験と言うことは私はできない。むしろ考えていたのは負の側面の方。

 

私は受験というものにのめり込んでいたと思う。

なぜなら他に逃げ場がなかったからだ。

いつから親の仲が悪くなったか覚えていないけど、たぶん初めて受験する頃にはまともに話してなかったと思う。

夏休みが憂鬱だった。家にいたくないので、連日朝から晩まで自習室に通った。10歳だった。極端だったと思う。塾の友達でもそんな強迫的な子はいなかった。

薄々気づいてはいたことだけど、あの人は私について勉強のこと以外知らなかった。

何のテストが何判定かは知っていても、どんな音楽が好きか、何が嫌いか、どんな時嬉しいか、そういう詳しい中身に興味がなかった。これはいまだになぜなのかわからない。他の家族もそうだから、あの人たちは集団でそういうふうになっているのかもしれない。

家は田舎だった。一人でどこにも行けない。ふらっと出かけることができない。親が揃ってるとすぐキレて怒鳴り合い罵り合いになるし、母親は「出来の良い優しい娘」にハマってる。

髪を抜き始めたり指の皮を剥いたり口の中を噛んだりし始めたのはあの頃だ。それが自傷行為の一種だなんて知らなかった。

 

この国で一番偏差値の高い大学に来たけれど、大学時代はずっと調子が悪かった。最近になって、たぶんそれが親から離れた反動だったと分かった。5年経ってもまだ反動が治らない。大したことだ。

何かを得たい、学びたいという前向きな意思があってあの大学に来たというよりは、とにかく早く家を出たかったし、都会に逃げたかった。都会に行けばまだ息がしやすそうな気がした。小学生からずっと友達関係も難しくて、なかなか周りに馴染めないと感じていた。何か悪いことをしたつもりはないのに、いつも何となく浮いているような感じだった。成績のせいもあるし、家が荒れててその暗さが滲み出てたせいもあるかもしれない。今でも集団の中でうまくやっていくのは苦手だ。群れている人は怖いし、喋りも早くてついていけないような感じがある。

 

今落ち込んで腹が立っているのは、就職先を決めるとき、自分は結局親の機嫌を取ってしまったんじゃないかということだ。

あの人がずっと不安定だったせいで、私はあの人の顔色を無意識的にうかがってきたと思う。あの人のやり口は巧妙で、自分の意見をはっきり言わない。その代わり、気に入らないと不機嫌になる。家にはあの人と私しかいないから、不機嫌になられると息が詰まるような感じがして体が痺れて重たくなる。だから逆らえない。「空気」に逆らうのは子供の私には難しすぎたと思う。はっきり形のある「意見」にならまだ自分の考えを言えても(それも支配の中では難しいが)、何となくの圧に明確に不同意を示すと罵倒されるので、あれはとても難しいし、気力のいることだし、不当なことだ。

そういう中で20年近く過ごすと、癖が染みつく。自分の好き、嫌い、やりたい、いやだ、全部ぼんやりして何も感じなくなる。悔しい。よくわからないのが悲しくなる。(という感情があったことも最近わかった)

だから就職の時も、資格試験を受ける選択をしてしまったような気がしている。あの仕事がやりたいことかと言われると違う気がする。でも何がやりたいかわかるはずもない。いきなりそんな大きな「やりたい」なんて感情が感じられるはずがない。「いやだ」もよくわかってなかった。

虐待を受けた人や性暴力にあった人が、とても傷ついて、それでいてまた同じような環境や出来事に身を曝してしまうというのは心理学的によくある話らしい。新たな傷を自ら受けることで、過去に他者から受けた暴力は大したことではないと思い込みたいとか、感覚が適応してしまって暴力に安心し安全が受け付けなくなるとか、そういう話も読んだ。

自分が受けたことを虐待と言っていいのかわからない。でも私は長い間守られるべき時に守られてこなかったし、親よりも大人であることを求められ続けて、その横にはいつも受験や試験や勉強があった。その体験は今の不調と決して無関係ではなかったと思う。

だからもしかしたら、あの時、また受験の暴力を受けることに「安心」して、選択してしまったんじゃないかと思う。

 

自己肯定感の話に戻ると、受験は非常に危険な装置だ。なぜなら基本的に「そのままの自分でいることをゆる」さないのが受験の世界だからだ。受験の教義は今の自分に満足しないこと、できない足りないところを具に点検して改善し続けること。これはひいては資本主義のドグマでもある。よって学歴至上主義が資本主義社会の発展とともに加速するのも当然だし、「頭の良い人」がこの社会で特権的な地位を持っている(傾向にある)のも当然だ。彼らは最も良い出来栄えで資本主義が求める「人材」の形をなぞってきたのだから。

人の揺らぎや身体性を無視した受験界隈の風潮は心底嫌いだ。求められ追い詰められそこでしか息ができないと思わされていたので従ってもきたが、最近いよいよもって限界が来ているような気がする。いつまでもこの教義に素直に従っていては鬱っぽくもなる。

 

学ぶのが嫌いなわけじゃないし、新しいことを知ってほう、となるのは楽しい。

でも受験はそれとは全く別の話で、社会に組み込まれ組織化された権力装置だ。

たぶん肝になるのは、受験ワールドでの出来不出来と、自分という存在の出来不出来は全く関係がない、と軽やかに思えることだろう。残念ながらこれは言葉で言うのは簡単で、実際にその状態を保つのは難しい。少なくとも私は安定してそう思える(たぶん思う、という動詞が出ないくらい、当たり前に根本から確信して意識にも上らないくらいの方が良い気がするが)状態にない。これはまだ子供でこういうことを考えられる能力も視野もない時に、半強制的に受験体験をさせられたせいだと思う。元々根っこがぐらぐらだった人間に、受験という条件付き承認の経験は強烈すぎたと思う。依存性もあるし、それしかできない、それがないと価値がないからと自分の快不快を踏み躙って渇望してしまうのもタチが悪い。こんなに時間が経って、大学で自由な学びを経験した後でも、またそこに立ち戻ってしまった。